共感レベル

 本を読んでいて、「わかるなあ」と共感することはいっぱいあるけれど、森絵都さんの『つきのふね』と『永遠の出口』で抱いたそれは段違いでした。
 『つきのふね』の主人公さくらにも、『永遠の出口』の主人公紀子にも、感情移入はしていなかったのです。自分を重ねてはいなかった。でも、『つきのふね』で描き出された“植物になりたい”“未来なんかこなきゃいいのに”とか、『永遠の出口』の“すべてを見届け大事に記憶して生きていきたいのに”という心情は、「わかるなあ」どころの騒ぎじゃなかったのでした。わたしがどうがんばっても言葉にできなかった気持ちが、的確に文章化されて活字として目の前にあった、という…。共感レベルが高すぎて胸が苦しくなってしまいました。

 あ、乙一さんの『暗いところで待ち合わせ』とか『しあわせは子猫のかたち』も、「わかるなあどころの騒ぎじゃない」気持ちを味わったけれど…この場合、描き出された心情だけに共感したんじゃなくて、主人公に思いっきり感情移入してしまって、他人事とは思えなくて身につまされて胸が苦しくなったので、森絵都作品に感じたそれとはまたちょっと違うんだな…。

伊藤たかみ 『ぎぶそん』 ポプラ社

ぎぶそん (teens’best selections)

ぎぶそん (teens’best selections)

 中学生のバンドの話。設定が明らかに昭和の終わり(作中で明記されている)なのに、イラストが今時っぽいのがちょっとだけ違和感あるなあ…とか思いました。
 リリイとガクの距離間(距離感かな)のもどかしさがよかったです(ネタバレ→もどかしいまま終わったらもっとよかったのに、と思ってしまった)。

このこまりかたは、「わたし太ってるから」と女子にいわれたときに似ている。そんなの気にすることないのにって答えたら、太ってるって認めたみたいになる。太ってないよって答えたら、なんだか太ってるのが悪いことみたいに聞こえる。(P.57)