自分にも商品価値はあるのだと思いたい
強い女の子たちはたいがい、強い男の子たちのグループと接触が多く、性的にませていて、「はやっている」とされる服を身につけ、髪型をしょっちゅう変える。連れ立ってトイレに行き、鏡の前でブラシをかけ、リップクリームなど塗りたくっている。
(中略)彼女たちの崇めているものはあまりにもちっぽけすぎた。商品的になるために努力するなんて、まっぴらだ。
「商品的になるための努力」について、考えこんでしまいました。
十代前半の一時期、そういう意味での商品価値は自分には無いのだと判断して悲しがったことがあって、今に至るまでそう思い続けてはいるのですが。「かわいくなりたい」願望はあるし、「商品的になるために努力する」ことを捨てられないし……この本の主人公ほど、それらを軽んじることができないのでした。
自分の中に、「商品価値が(ちょっとは)自分にもあると認めてもらいたいなあ」って気持ちがしっかりあります。実際に何かしら積極的な行動を起こすわけでもないくせに、こういう願望はきちんと持ってて捨てられない自分が、すごく浅ましくて嫌なのです。だから、「商品的になるために努力するなんて、まっぴらだ」と心底思えたら楽かなあ、と……益体も無いことを考えてしまいました。
追記その1:これを書きながら連想したこと。『放課後の音符』や『ぼくは勉強ができない』を読んでいると、山田詠美は「商品的になるための努力」をすごく肯定的に描いてるなあ、って思います。といっても、引用部のように「流行の格好をする」とはちょっとニュアンスが違うけれど。異性の目線を意識するのも楽しいよ、と。(あとでまた追記する、かも)
追記その2:角田光代『あしたはうんと遠くへいこう』より引用。
あたしはきれいだろうか、(中略)きれいじゃない、とも思うし、けれどそんなにひどいわけでもない、とも思う。テレビはもちろん、学園のアイドルにもなれないけれど、整形手術を真剣に考えなければならないほどでもない、ということ。それにしてもこの先あと何百回くらい、こういうことを考えなければならないんだろうか。つまり、あたしはきれいなのか?だれかに好かれるくらいにはきれいなのか?それとも見向きされない?という、たとえば、鮮魚売場の、刺身用の鯵みたいなことを、だ
これは、主人公が自分の「商品的な価値」について考えている箇所だなあ……。
魚住直子 『非・バランス』 講談社文庫
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あそこにもひとつ、私の知らない悩みがあるのだ。(P.80)
段落の最初、一マス空けていないのが気になって仕方なかった……偏狭な人間でごめんなさい。