萌えを知った過程

 本当に見返りがあった、書いた甲斐があった、何か書いてよかったと心から思えるのは、わたしの作品に基づいたマンガ同人誌をもらえるときだ。これがすごく、すごく、すごく嬉しい。
 わたしの創作したキャラクターを勝手にとりこんで、自分でビジュアライズして、自分で動かすことのできる読み手を得たこと。
 そうすることのできる彼女たちのおめがねにかなったこと。
 もう光栄の至りであって、こわくなっちゃうほどである。


荻原規子読む女の子たち」より一部引用

 家にネット環境が整ったのは2年と少し前。最初にはまったのは乙一FAN!の掲示板通い、乙一FAN!から飛べる個人サイト通い、そして「創作したキャラクターを勝手にとりこんで、自分でビジュアライズして、自分で動かすことのできる読み手」である荻原規子ファンの方々がファンイラストを公開しているサイト通いでした(作者が上記のような文章で、おおっぴらに二次創作を肯定しているというのは、もしかするとかなり珍しい例なのでしょうか)。


 わたしが「萌え」という言葉を知ったのは、そういう、荻原規子作品関連のサイトを巡る中でのことでした。全部のサイトが使っていたわけではないけれど、イラストについているコメントとか、各作品の感想など、「この作品が大好き」という思いが語られる文章には、「萌え」が登場することが多々ありました。
 そういう文章に、わたしは「そうそうそのシーンわたしも好き!」「そこでわたしもそのキャラに惚れたー!」とばかりに、心の底から共感することがたびたびあって、それを繰り返すうちに「萌え」という言葉(というより、概念)は自分の中にすっかり定着することとなったのでした。


 そういうサイトの管理人さんの多くが女性で・・・わたしは、女性の方のサイトを通して、「萌え」って言葉を知ったのでした。



 だから、わたしはむしろ、「萌えって女性も使いますよ」と言った時、驚かれたことに驚いたのでした。