狗飼恭子 『低温火傷』 幻冬舎文庫

もっと知りたい。知って欲しい。
けれど知りたくない。知られたくない。
ひとりでいたい。でもひとりは痛い。(P.64)

わたしのまわりにいた人たちはみんな、「次」のことしか言わなかった。「次」頑張ればいいって、それしか言わなかった。次なんか、ないのに。今さえも、こんなに所在ないのに。(P.75)

 わたしは人には嫌われない。その人が嫌がるような毒を含む言葉を口にしないから。
 けれどわたしは愛されない。本当に誰かのためになるような言葉を発することはできないから。
 わたしにできるのは知ったかぶって分かったふりして一緒になって笑うことだけ。
 吐き出せなかった毒はみんな、わたしの中に堆積していき、いつしかわたしは腐るのでしょうね。(P.60)

 わたしはどうしてこんなに駄目な人なのだろうと思うと、生きていてごめんなさいという気分になる。(P.123)

 高校時代、古本屋さんで1巻を見かけたことがありました。その時、『低温火傷』って不穏な感じがするなあ、「たとえすでに誰かのものでも」ってサブタイトルからしてどろどろしてそうだなあ、自分とかけ離れた大人の話って感じだなあ、と思ったのでした。

 読んでみると……主人公が今の自分と同い年ということもあってか、あんまり自分とかけ離れた世界の話……という風には思えないお話でした。なんだろう、語り手の音海が、まだ大人になりきっていない者特有の傲慢さを持っているように感じられたから……タイトルから、すごく、「大人の世界」という先入観を持ってしまっていたので、ちょっぴり意外だったというか。
 音海のキャラクターとか、行動には全然感情移入できないけれど、吐き出される心情には、ぐい、とひきずられるところがあって、へこみました。かなりへこみました。わたしにとって、この本、有害図書だーっ、とか思いました。


 ……あと、この本を読んで、佐藤友哉さんの著作を思い出しました。
 わたし、佐藤友哉さん、デビュー作と、買ったことのあるファウストに掲載されていたいくつかの短編くらいしか読んでいないので、自信を持って「似てる」と言えるわけではないのですが、なんとなく……「わたしはいつだって百パーセント幸福に身を浸さずに、いつか必ずやって来る不幸に対して身構えている(?のP.8)」とか、「わたしの人生は牛乳パック以下」のくだりから、連想してしまったのでした。