ケータイ小説

中3の大変聡明な女の子が山田悠介の本を読むというのを聞き、私は『リアル鬼ごっこ』しか読んでないなぁ、発想はいいと思うんだけど結末がなぁ、と言ったら「みんな文章は下手だと言っているけど、怖い話が読みたいから読む」という返答になんか大層納得したのでした。

 「とびきりのスカート」より。
 そんな感覚なのかー。
 文章が拙いと「いらっ」ときてしまう上に怖い話が苦手なわたしは、これ以上山田悠介を読む必要がなさそうだと思いました(わたしも『リアル鬼ごっこ』しか読んだことがない)。
 でも、「下手」だと知っていて読む、という感覚はちょっとわかるかもしれない。中学時代、講談社X文庫ティーンズハートの一部の作品たちに、「こんなことありえんしー」と図書室仲間と共に突っ込みつつ読んでいた、あの感じ。名文じゃなくても、突っ込みどころ満載でも、身近なものとして楽しんでいた。これは一過性のものだったなあ。別に「こういう読書を卒業しよう!」と意識したわけでもなく、いつの間にかやめていた。
 ダ・ヴィンチケータイ小説特集とか、この記事(フツウの人が書いた小説が、ミリオンセラー?! ケータイ小説がヒットするワケ)とか読むと、ケータイ小説なんかも、そういう「一過性の楽しみ」の対象なのではないかと考えてしまいます。
 文章が下手なのも、話がワンパターンなのも、読む側は気づいてないわけではなくて、それでも(だからこそ?)楽しんでいて。でもある程度はまった後は(多分たいていの人が)「卒業」して読まなくなっていく……うーん、やっぱりこれは、「少女小説の方程式」と通じるものがある気がする。