三種類の「かわいい」

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

やわらかく爽やかな木洩れ日を受けて、隼子の茶色い髪と、虹彩の薄い茶色い瞳と、すべすべした頬と、整列した歯と、体育の授業中に被害を受ける長くかたちのよい足が、きらきらしていた。校内での見慣れた重たいセーラー服ではなく、細身の白地のTシャツは乳房から胴と腰にかけての流線のシルエットを如実にしていた。
「森本はきれいやなあ」
 思ったとおりのことを桐野は言った。

 このシーンが大好き。
 話が飛ぶけれど。「きれい」はともかく、「かわいい」はとっても意味が広いと思います。去年、KちゃんPちゃんと「女の子の言う『かわいい』には三種類あるよね。自分より弱い立場の人に言う見下す感じと、同等の人に言うのと、上を見てすごいなあって感じで言うやつ」という内容の話をしたことがありました。女の子って難しいね、わからないね、と言い合いました(女の子三人で)。でも男の子のこともわからないよ、とわたしが言うと、兄が4人いるPちゃんが「えーでも、男の子には少なくとも三種類のかわいいなんて無いと思うよ」と言ったのでした。
 なんだろう、「見下す感じ」と表現すると印象が悪いけれど……相手の弱いところ・劣っているところを微笑ましいと捉えるような、許容するような、そんな意味で発せられる「かわいい」って、あると思うんです。
 この「かわいい」は、「いとおしい」にもつながっていく気がして、わたしは決して嫌いではないのですが、桐野が言う「森本はきれいやなあ」は、そういうものが一切入っていない、手放しの賛美で……そのまじりけのなさに惹かれるのでした。桐野が森本に言うセリフとしては、こちらも好き。

へんな言い方かもしれへんけど、ぜったい白いパンツをはいてる感じが好きやった。

 ……ああ、書きながら思ったけれど、わたしは動作がおもしろいとか観察してて飽きないと言われたことが過去何度かあって、そういう意味で「かわいい」と言われたことはあるけれど(けっこうそれは嬉しいことなのだけれど)、自分の容姿からして「きれい」という賛美を受けることは今もこれから先もまず無いから、憧れてしまうのかなあ。