児童文学の読み方(今日の授業記録)

学校文化とジェンダー

学校文化とジェンダー

 授業で、第八章の「少女小説の方程式」を読みました。
 1993年の、小・中学生を対象に「あなたは、男女交際や恋愛が出てくる10代向けの小説(たとえばX文庫やコバルト文庫など)を読みますか」とたずねた結果がおもしろかった。中学生女子の「よく読む」「ときどき読む」と答えたものを合わせると全体の7割以上に達した、という。多いなー。
 萩尾望都大島弓子竹宮恵子といった漫画家さんたちの作品が難解になったため、それよりも読みやすい(会話いっぱい挿絵いっぱいの)少女小説がポピュラーなものになったのではないか、という説もあるようで。
 この位置に今あるのは、過激化が問題になっている一部の少女マンガなのかなあ。それともケータイ小説なのかな……。

 ケータイ小説の文章に対して拒否反応を示す人たちは、たとえば80年代後期から90年代にかけて活躍した花井愛子の文章もたぶん受け付けられないだろうな、と思う……。きゃぴきゃぴした女の子の一人称、ページの下三分の一は空白じゃないかという勢いの短文の連続、読点多め、改行多め、語尾にハートマーク、とか。

きょうは、あたし、坂本菜月が、3年間通った、八汐中学の卒業式。セレモニーは、すべて終って。お別れセンチメンタル気分も、ひと山越えちゃった、下校時。みんなの心は、帰り道のダベりんぐのほうへ、向いてしまっている。け・れ・ど。あたしは。あたしだけは!想い出の教室に、ひとつ、大きな忘れもの。それは。恋。―さあ、菜月。勇気を出して。正門前で、Uターン、するのよ!

 こんな感じ。(『恋教室』内容紹介より)
 今考えると、この類の少女小説の文章は、女の子が書いたブログのそれに近いかもしれないなあ、と思った。