川島誠 『幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃』

電話がなっている (ニューファンタジー 3)

電話がなっている (ニューファンタジー 3)

 去年の読了本。川島誠さんのデビュー作『幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃』以外の収録作は、高1のときに読んだ角川文庫の『セカンド・ショット』に再録されているので既読だったのだけれど、デビュー作の長いタイトルが気になったので読んでみたんですね。

 その後、児童書読書日記さんにて、この国土社版『電話がなっている』についての記事(http://d.hatena.ne.jp/yamada5/20060505/p1)を読んだとき、「銃がそのまんま性器のメタファーになっています。(ネタバレかもなので一応反転)それをストレートに描いた長谷川集平のイラストも衝撃的です」という箇所に衝撃を受けたんです。全然気づいてなかったので。この短編、わたしにとっては「気持ちの悪い話」だったので、流し読みしちゃってたとこがあったのかなあ、イラストもちゃんと見てなかったのかなあ、とか思いつつ……自分の読解力のなさにへこんだのでした。


 『800』『セカンド・ショット』『夏のこどもたち』を読んだ印象だと、川島誠さんはわたしにとってふみこみたくない場所・ふみこめない場所について、ずかずかふみこんで書く人なのです。これ以上追いかけたくないような、怖いもの見たさで追いかけてみたいような……。
 なんだろう、「好き」なタイプとは正反対の作品なのだけれど、たぶんわたしは川島誠さんの作品群が「嫌い」なわけじゃないのだろう、と思います。
 わたしが掛け値なしに好きだと言える物語の筆頭は、荻原規子作品です。活字倶楽部のインタビューで、荻原さんは「自分が読みたいと思う物語しか書きません」とおっしゃっているのを読んだとき、たぶん荻原さんの「読みたい物語」と、わたしの「読みたい物語」はすごく近いのだろうな、と思ったのです。わたしがとっても荻原規子作品を好む理由は、そのあたりにあるのかな、と。
 川島誠作品はきっと、わたしが「読みたい物語」の逆方向にがんがん進んでいるのだと思います。だから、わたしが好まない要素を多く含んでいて、掛け値なしに好きだと言うことはできないのでした。でも、「読みたい物語」と対極にあるからこそ、惹かれているところもあるみたいです。

追記。

 書いていて、荻原規子さんの「読む女の子たち」というエッセイの、「かつてわたしがそうであったような、女の子のために書いている」「そういう女の子にしかわからないシグナルはたくさんある」という箇所を思い出しました。
 川島誠さんの作品には、「男の子にしかわからないシグナル」が含まれている気がする。……そこがわたしにとってはわからなくて、時には怖くて気持ち悪いと思ってしまう部分なのかも、と思ったのでした(これを言ってしまうと、先の『幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃』について、自分の読解力のなさにへこんだ話の言い訳っぽいですが)。でも、川島誠作品を読んでいて、これは男性の方が感覚的に共有しやすいのかも、と思うところがけっこうある*1のは確かです。

*1:勝手に思ってるだけなので見当違いかも。うむ。