角田光代 『愛がなんだ』 角川文庫 ――「五周先回りの逆自意識」

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

 再読。主人公に「感情移入」はできないけれど、描き出される心情に関してはかなり「共感」できる、身につまされる箇所がたくさんありました。この「『人物』に感情移入はできないが『共感』できる箇所がある」感覚はどこかで味わったことが……あ、森絵都さんだ。特に『つきのふね』『カラフル』『永遠の出口』あたり。

 表紙がすごく切ないな。もう片方の手袋をしてくれる相手は不在、なんですよね。

 考えていると、私のすべてが彼を苛つかせるのに値するように思えてくる。空車ランプを見過ごすところとか、目のかたちとか化粧のしかたとか、今着ているカットソーとスカートの組み合わせとか、尻とか呼吸のリズムとか、もう私の全部が全部。(P.13)

「おれさあ、山田さんのそういうとこ、ちょっと苦手」(中略)「そういう、五周くらい先回りしてへんに気、つかうとこっていうか。逆自意識過剰っていうか」(P.111)

私も向かう先は改札口なのだが、私といっしょじゃいやなのだろうとその場でマモちゃんのうしろ姿を見送り、これもまた五周先回りの逆自意識かとはたと思い、ならばといっしょに帰ろうとマモちゃんを追いかけようとし、しかしそういうあれこれを考える自分にほとほと嫌気がさして、結局そこから動けずにいた。(P.112)

 これはこたえた……こういうところが嫌われるんじゃないか、こうしたら相手の気に障るんじゃないかとあれこれ考えた末動けなくなる、というのが他人事だと思えなくて。わたしも周囲の人に同じことをしてて「ちょっと苦手」と思われてるんじゃないかとか心配になって。でもそんな心配をすること自体が「五周先回りの逆自意識過剰」なんじゃないかとも思えてきて。

追記

 ……なんか、同じようなことを前に書いたような気がするぞ、と思って調べてみたらやっぱりあった……(http://d.hatena.ne.jp/sagara17/20060914/p1
 「ブログ」としては、かぶっている記事がある、というのは駄目なことだという気がするけれど、「日記」としてはそれでもいいのかな、今日思ったことを今日書いておきたかったんだし……。