「嫌い」の理由

ハッピーバースデー

ハッピーバースデー

ハッピーバースデー―命かがやく瞬間 (ときめき文学館)

ハッピーバースデー―命かがやく瞬間 (ときめき文学館)

 「純愛小説ではもう泣けないあなたへ」という帯つきで、この本が書店にあるのを見るたび、ちょっと腹がたってしまうほどこの本が嫌いなのはどうしてだろう、と考えてみました。

 どうしてこんなに嫌いなのかというと、一生かけて折り合いをつけていかなくちゃいけない問題が、とっとと解決されてハッピー・エンドを迎えているように、わたしには思えるから……なのでしょうが。

 現実では、そんなにうまくいくことばかりじゃないからこそ、物語の中でそうなったとき、カタルシスが得られるのかもしれないけれど……それは、やっぱり、「上手」にやってくれた場合だろうなあ、と思うのです。『ハッピーバースデー』は、そこらへんがただただ都合よく安易に事が運んでしまったように見えたから、反発してしまうのでした。

 わたしは、物語の中の「親子関係」というキーワード(親の期待に添えない自分に失望する子ども、とか)にすごく反応してしまう人間らしくて……この本も、「『生まれてこなきゃよかったよな』とママと兄から言われて声をなくしたあすかの回復」という折り返しの内容紹介を読んで、すごく期待してしまっていたので……よけいに安易(だとわたしには思えてしまう)なところに反発しているのかもしれませんが。

 木曜日は、昼休みに子ども文学研究会のミーティングがある日。といっても、14、5人が部室に集まっていっしょにごはんを食べて、部長さんから連絡事項を伝えられた後は、それぞれの話題で盛り上がっている感じです。
 今日ポケモンが家に届く、という人がいて、それから小学生のときにやったとか、当時雑誌「小学六年生」の付録のポケモンスタンプを一所懸命集めてたという話になって。
その雑誌に掲載されてたポケモンのマンガも好きだったと言ったら、Nさんが「持ってこれるよ」と言ってくれたので、「貸してくださいっ!」と嬉々として頼んじゃいました(笑)。

 あと、京極さん新刊出たね、というのも話題になりました。
 Kちゃんに、貸してもらった辻村深月さんの『冷たい校舎の時は止まる』よかったよー、うちも好きだよーと、借りていた本をいっぺんに返したとき言いそびれたことを伝えましたー。