「嫌い」の理由

ハッピーバースデー

ハッピーバースデー

ハッピーバースデー―命かがやく瞬間 (ときめき文学館)

ハッピーバースデー―命かがやく瞬間 (ときめき文学館)

 「純愛小説ではもう泣けないあなたへ」という帯つきで、この本が書店にあるのを見るたび、ちょっと腹がたってしまうほどこの本が嫌いなのはどうしてだろう、と考えてみました。

 どうしてこんなに嫌いなのかというと、一生かけて折り合いをつけていかなくちゃいけない問題が、とっとと解決されてハッピー・エンドを迎えているように、わたしには思えるから……なのでしょうが。

 現実では、そんなにうまくいくことばかりじゃないからこそ、物語の中でそうなったとき、カタルシスが得られるのかもしれないけれど……それは、やっぱり、「上手」にやってくれた場合だろうなあ、と思うのです。『ハッピーバースデー』は、そこらへんがただただ都合よく安易に事が運んでしまったように見えたから、反発してしまうのでした。

 わたしは、物語の中の「親子関係」というキーワード(親の期待に添えない自分に失望する子ども、とか)にすごく反応してしまう人間らしくて……この本も、「『生まれてこなきゃよかったよな』とママと兄から言われて声をなくしたあすかの回復」という折り返しの内容紹介を読んで、すごく期待してしまっていたので……よけいに安易(だとわたしには思えてしまう)なところに反発しているのかもしれませんが。