本を読む習慣

荻原規子さん「アンダンテ日記」(2003年11月17日)より一部引用。

もしも、「一日一冊」とか、「一日三冊」とか、読書を自分に課す人間を読書人と言うなら、わたしは読書人でもありません。
べつに読まなければ読まなくてもかまわないと、思っています。読書記録をつけるなんて、もってのほかだ。
はっきりいって、読書をそれほど「他人に誇るに足るたいそうなこと」だとは、きれいさっぱり思っていないのです。むしろ、他人に誇る読書はうさんくさい。
読書は、後ろめたい思いで行う悪徳だからこそ、多少は甘美に思えるものなのです。

その点では、わたしは文章表現にもマンガ表現にも優劣をおきません。
どちらも同等に「悪徳」でいいです。

田畑で汗して収穫にはげむ人々に比べれば、道路工事を行いビルを建てる人々に比べれば、ほとんど「すみません」と平謝りの行為ですよ、読書で日をつぶすのは。

 話が飛ぶけれど、小学生の時からやたらと本を読む子であった私は、先生や友達から「えらいね」とか「すごいね」「よく読めるね」と言われることが多くて。自分としてはただ楽しいから、好きだから、夢中になっていただけのものごとで、感心されるのはひどく不思議でした。

 なんで本がそんなに好きなのと訊かれると、とっても困ります。読書は、自分にとっては何か理由があってやることではなくて、ごく自然に、いつの間にか身についていた習慣のようなものだから。

 読書記録をつけるのも、習慣に近くなってきているかな。読了本リストを作って、1年の間にこれだけ読んだのだなーとか、ふりかえってみるのも楽しいです。