「精霊の守り人」に限っての話

 わたしは6年前中学の図書室で原作に出逢って以来の守り人シリーズが大好きで、それからリアルタイムで完結まで追いかけた原作ファンです。あくまでわたし個人の感覚ですが、アニメで「メンテナンス」だの「ジャッジ」だのという言葉が出てきたのはものすごく残念なことでした。
 違和感を出すことがねらいだったというのも、第一話でバルサの台詞の中に「メンテナンス」という言葉が出てくるのは、「バルサはカンバル出身の人間だから新ヨゴ皇国の人間には耳慣れない言葉を使う」という演出になっているのも、頭ではわかっているのですが。自分を納得させようとしているのですが。いざカタカナ語が出てくるシーンを目の当たりにすると、「だから使うなって!」と怒りがわきあがってくるのです。

 個人的には「賛」に一票を投じたい。バルサやチャグムたちが生きるこの物語の世界は、どんなに日本風に見えるにしろ、日本「ではない」。どこかのはるかに遠い異世界なのである。

 だとすれば、そもそも日本語で台詞していることじたい不自然だ。それは視聴者のことを考えて日本語に翻訳されているだけであり、バルサたちは本当は聞き慣れぬ異世界の言語をしゃべっているのだ、と考えることも出来るだろう。

 しかし、そうだとすれば、その会話に外来語が混ざってはいけない理由があるだろうか。

 混ざっては「いけない」理由にはならないけれど、混ぜてほしくない理由は、やっぱり「世界観に合わない」感じを抱いてしまうからだと思います。
 日本風の世界なら、それに馴染む言葉を使ってほしい、違和感を抱かせる言葉は使ってほしくない、そういう気持ちが強いので、アニメの中でそれが使われるたび怒ってしまうようです。この世界観や風景に馴染む言葉を使うことを最優先にしてほしかった、「違和感を抱かせる」ねらいは捨ててほしかった、正直なところそういう気持ちです。もっともこれは、飾り気のない原作の文章が大好きだから生まれてくる気持ちなのかもしれませんが。

 ずいぶんこのアニメに批判的なことを書いてきましたが、原作とは少し違う人物像にもオリジナルのエピソードにも、わたしはおおむね好感を抱いてます。「風景きれー」「空きれー」と毎回感嘆したりもしてます。

 映像で表現された「守り人」の世界も大好きだからこそ、それにそぐわない言葉が登場するのは許せないのだけれど……こうして視聴者が話題にすることこそがねらいだと言われたら、納得するしかありません。……と言い切ってみるものの、やっぱり、また出てきたら怒るんだろうな(無限ループ)。