恋が冷める瞬間

乙女なげやり

乙女なげやり

「(前略)そのひとはにこやかに、『いや、本を読んでたから』と言ってくれたわ。それで、『まあ、このひとはなんの本を読んでるのかしら?』と思って見たら……『週刊少年ジャンプ』だったのよ!」
「うん……? え、だめなの?」
 私たちは首をかしげた。ナッキーは息巻く。
「だめだよ! いや、べつに『ジャンプ』がだめなわけじゃなくて、『本を読んでた』と言ったのに、それが本じゃなくて雑誌の『ジャンプ』だっつうのが、私にはどうもよくわかんなかったの! 『本』というものに対する認識の差異が、どうしても我慢できなかったの」
「『ジャンプを読んでたから』って言ってくれれば、なにも問題はなかったのね」
「そうそう。それで、そのひとへの恋心はスーッと冷めたね(後略)」
 な、なるほど。私だったら、「本」と言って「ジャンプ」を読んでいても一向にかまわない。しかし、「本」と言って読んでいるのが、『これで上司とうまくいく!』みたいな実用書やハウツー本だったら、かなり情熱が冷めると思う。ひとそれぞれ、譲れない部分というのはあるものだ。(P.191-192)

 そうだなあ、別に恋してる相手じゃなくても、「本を読んでた」と言ったその人が読んでたのが漫画だったら、わたしもちょっと「距離を感じる」かもしれない。自分ではどうしてもこだわってしまう譲れない部分(他の人から見れば「どっちでもいいじゃん」と思ってしまうようなくだらないことでも)も、相手にとっては無頓着でいられるものごとなのだと思い知らされるのは、ちょっと寂しい(それは「寂しさ」だけじゃなくて、違いを発見する「おもしろさ」にも繋がるけれど)。
 「譲れない部分」なんて「ひとそれぞれ」なのだから、その「ちょっと寂しい」気持ちを味わう時の方が多いだろうな。そのぶん、「譲れない部分」がちょっとでも重なる人と会えた時にはすごく嬉しい。