『むかしのはなし』(三浦しをん・幻冬舎)収録「ディスタンス」感想

むかしのはなし

むかしのはなし

 主人公は十六歳の「あたし」。彼女が、心療内科の先生にあてて書いた手紙、という形式で語られる物語です。

 鉄八にちゃんとメンテナンスしてもらえないと、あたしはすぐに壊れる。鉄八があたしを作ったんだから。あたしの体のすみずみまで手入れして、「愛してる」とささやいてくれなきゃいけない。そうでないと、あたしの胃は食べ物を受けつけないし、皮膚はぬくもりもそよ風も感じない。(P.92)

 鉄八が胸の小さな女のひとが好きだと言うから、あたしは小さめのブラジャーをしている。しめつけると胸が大きくならないと、なにかの雑誌で読んだ。
 あたしは鉄八が好きなかわいくて子どもっぽい服を着て、ニキビができないようにすごく気をつけて、余計な肉がつかないように野菜ばかり食べて、ピンクのリップをつけて、オレンジの香りがするコロンをしゅっと吹きかけて……とにかく数えきれないほどたくさんのことを、すべて鉄八の好みに合わせてする。
 それなのに鉄八は、あたしにどんどん興味を失っていっているような気がする。(P.98)

 鉄八ひどいやつー。姪っ子に手を出して引用部のような状態にさせておいて大人の体に近づいたら捨てるなんてっ!そういうのは二次元で充足すればいいのにっ!!
 ……って、小説の登場人物に何本気で怒ってるんでしょうわたしは。でも、この「ディスタンス」とか、同著者の『秘密の花園』で出てきた幼い女の子がいたずらされるエピソードとか、女子高生が電車内で痴漢に遭うエピソードもそうだけど……幼い、若い、明らかに自分より弱い立場にある存在を対象に選んで傷つけることへの憎悪が行間から噴出してる気がするのだけれど、これはわたしの気のせいですか……。
 江國香織さんの『すいかの匂い』に収録されている「はるかちゃん」にも、女児がいたずらされるエピソードはあったけれど、あれは書かれ方がさらっとしてたなーと。三浦しをんさんの書き方にはなんか……そういう行為への怨念を感じる……。

 これでおしまい。さあ先生、あたしのことを分析して。パパたちが満足するまで、好きなだけ。
 どれだけ切り刻んでも、どんなに深く掘っても、あたしの中にあふれるのはただ、
 会いたい。会いたい。会いたい。
 それだけなの。(P.99)

 そんなわけで、読んでいて気持ちのいい話では決してないのだけれど、主人公のひたむきさがなんだかいとおしくて、「ディスタンス」は収録作の中で一番好きなのでした。

 あと、あとがきの文章が好きなので、そちらも引用しちゃいます。

 なにかを語り伝えたいと願うときとは、きっとなんらかの変化が起きたときだろう。喜びか、悲しみか、定かではないけれどとにかく、永遠に続くかと思われた日常の中に非日常性が忍び入ってきたとき、その出来事や体験について、だれかに語りたくなるのだ。
 だれでもいい。だれかに。
 ひとは変化する世界を言葉によって把握するものであること。
 どんな状況においても、言葉を媒介にだれかとつながっていたいと願うものであること。
 語られることによって生きのびてきた物語は、人々にそう伝えているように思う。